ある一つの考えをもつと、
それを次々と深めたくなるクセ。
岩は最初は重いがころぎだせばゴロゴロと転がってゆく。
そこをあえて、転がし続けることをせず、
思考の原点に戻り、また次の岩をよいしょと転がし、また次の岩を、、、と。
とにかく強い意志が必要だが、
ある一つの考えに依存しないで済む。かな。
いわゆる自由学なのだ。
無学ともいうが、誤解を呼ぶので自由学の方がいいかな。
この学び方の元になったのは、
ラクをしない、またはあえて困難なことに挑む姿勢から来ているのだろう。
異論が二つある。
1つ目
転がし、また転がし、またまた転がし、、、
というのは自由ではなく、それに囚われているのでは?と。
であれば、ひとつの岩を転がし続けるのも良い。別の岩を転がしながら、そのまた別の岩を転がしても良い。自由だ。
2つ目
原点に帰り考えること、考え始める、こと自体が自由ではないのでは?と
考えるという選択肢と考えないという選択肢もある。自由だ。
また、考えてもらう、というの手かもしれない。岩を転がし始めてもらう、という手も。
いや厳密に言えば自由ではない。
よりハードな道へ行く、ということ。
それが自分に根付いていると感じる。
我慢ではない、
自分を律する、
ということ。
そしてまた、
本当の自由であることは、
自由であり、不自由でもあること。
自由であり、不自由さに囚われること。
でもあるかな。。。選べる。
これは役に立つのか?